8/9長崎で生まれたむたが原爆の日について考える

どうも!
むたです!

今日は長崎で生まれたむたが長崎の原爆について考えてみます!

長崎で生まれたむたが長崎の原爆について考える

8/9と書き出して気づいたこと

昨日ふと8/9のタスクと書き出していたら
75年前、明日が当たり前に来ると思っていた人たちのことを考えました

明日何が起こるかは誰にもわからない

そのことを感じた昨日の夜でした。

むたのひいじいちゃんひいばあちゃんの話

むたのひいばあちゃんは当時長崎にいましたが
原爆が落ちたところからは距離が遠かったので
(福岡市と北九州市くらいの距離とのこと)
影響は受けなかったそうです

ただ、B29がギラギラ飛んできて
見つからないように隠れていたそうです。

よくそんな大変な時を生き抜いてくれたなと思います。
怖かっただろうし、毎日生きるのに必死だった時代があったんだなと思います。

アランの幸福論でもありますが
恐怖や不安は、暇な人ほどあれやこれやと想像するもので
その渦中にいる人はそれどころではない。

常に目の前のことに意識を向けているということです。
どんな状況でも目の前の今できることに集中すること
その時代の生き抜く方法だったのかもしれません。

アランの幸福論を読んで幸福と不幸について考えてみた

戦時中の状況

むたのひいじいちゃんは戦地で
戦闘機からの爆撃の破片を頭に受け
右目を負傷しながらも、その足でなんとか逃げ切り
まわりの仲間が倒れる中、生還し現地の野戦病院や兵站病院を転々とし
義眼装着のため1943年に日本に一時帰国したそうです。

妹が第18師団(菊兵団)のひいじいちゃんの軍歴を送ってきた話

2年ひいばあちゃんと暮らし、今の祖父もそのときに誕生しました。
その後、さまざまな偶然が重なり、徴兵こそされますが
怪我のおかげで激しい対戦に参加することもなかったようです。
人間万事塞翁が馬ですね

「人間万事塞翁が馬」の意味とは?読み方・使い方と類語も

ひいいじいちゃんやひいばあちゃんのように
1秒1秒を必死で生き抜いてくれたその時代の方々に感謝したいです。

終戦の年に落とされた原爆
当時、ひいばあちゃんは長崎に、ひいじいちゃんは鹿児島にいました。
そのとき、どのようにその事実を知り、何を思ったのかはわかりません。

生き抜いてくれたからこそ
つながった命を大切にしたいと思います。
これを読んでくれたあなたも
そうやって過去からつながった大切な命です!

精一杯、生きてみせたいものですね!

それでは!
今日はこのへんで!

P.S.原爆の話だからって暗い話にはしたくなかったので、最後は前向きです!

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